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KANEKO.TV

KANEKO.TVは金子洋平のブログです。


高校生の時アニメオタクが、24歳の時ファッションビジネスで起業する話 -10 years after ver-

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「ファッション×インターネット」というテーマで会社をしている株式会社ニューエイジの金子洋平です。
現在会社は11期目で、ネットショップの支援・コンサルティングをメインの事業にしています。
2013年12月にSTORYS.JPに連載をしたものの加筆修正バージョンになります。

 

僕のストーリーを語るには、高校時代、1995年まで戻る必要があります。
1995年10月4日、「新世紀エヴァンゲリオン」というTVアニメが放送されました。
僕はそれまでオタク気質はあったものの、特に目立ってアニメが好きという訳でもなく、それこそスタジオ・ジブリの「天空の城ラピュタ」が好きです〜、みたいな一般的であったと思います。

元々、不思議の海のナディアが良かったから、エヴァを見た訳でもなくたまたま10月4日の18:00にテレビの前にいて、その時住んでいた埼玉の実家のリビングでテレビ東京が写っていたから見たのです。

 

見終わって、衝撃。
何このアニメ、ヤバくない?面白すぎない?

 

当時の僕は、引っ込み思案で、ひ弱で主人公の碇シンジくんと大分シンクロ率が高くて、どっぷりとハマってしまう訳です。今まで一度も買ったことのなかった、アニメディアアニメージュニュータイプとアニメ雑誌も買って、エヴァのことを調べ始めました。

毎週の放映を楽しみにしながら、エヴァの世界を研究する日々。
そのうち、この熱い思いを誰かと共有したくなるわけです。
しかしながら、その時は高校生。
周りは部活や恋愛、バイトなどに盛んな時期。
今でこそ、アニメはクール・ジャパンを代表する文化になっていますが、
その時はオタクというと、かなり敬遠されるジャンルだったのです。

 

インターネットとの出会い

 

1995年、まだその当時「インターネット」という言葉自体がまだ認知されていなく、まだ「パソコン通信」という言葉があった時代。
小学校からの同級生で高校も一緒だった親友と「インターネット」なるものがあるらしいという話になって、面白そうだから始めてみようということになった。
その当時のパソコンはWindowsが3.1から95になるところで、基本的にネットに接続できるモデムは別売りでした。
速度は128kか256kくらい、もちろん電話回線を使ったダイヤルアップで、テレホーダイというNTTのオプションに申し込んでおかないと通信費が大変なことになる。
友人と秋葉原でモデムを購入して、初めてのインターネットの世界に繋がりました。
あの頃はYahoo!Japanもコンテンツすかすかだったし、ブラウザはネットスケープ
色々調べているうちに、ML(メーリングリスト)というサービスがあることをしりました。まだコニュニティサイトなどがあるわけでもなく、まだパソコン通信の名残がある時代だったので、フォーラムの延長上で、趣味別に色々なMLがたくさんありました。

 

僕が参加していたのは、「エヴァ」と「林原めぐみ綾波レイの声優)」のML。
かなり衝撃的でした。ネットに繋がっていないパソコンはただのパソコンで、パソコンの中で見ず知らずの人とコミュニケーションが出来るのは感激を覚えました。
しかも、みんなオタク。
大学生もいれば、社会人もいて、趣味が一緒だから夜な夜なML上で会話を楽しんでいました。
これが高校時代の青春をアニオタに捧げる序章でした。

 

オフ会!

 

今まで、電子メールなんて全然使うこともなかったのにMLに参加するようになって、パソコンを付けることが楽しくなり、これがインターネットだ!と勝手に感動を覚えつつ、オタク街道まっしぐら。
林原めぐみMLのオフ会なるものがあるということなので、初めて参加してみることに。今まで、メールでのやり取りだけだった人が、実際に人間で(当たり前なのですが)、お話出来るというのは本当に不思議な感覚でした。
新宿のまんがの森前集合というディープな方々とお会いして本当にいい経験でした。
MLでは参加させてもらう側の僕も、なんかこういうコミュニティを自分で運営したい!と感じました。プロバイダーの無料ホームページ容量があったので、ホームページを開設してみようかと思いつき、早速HTMLの勉強を始めました。
「はじめてのHTML」多分そういう類の本を1冊、本屋で購入し、夜な夜なホームページ制作。なんだか始めてみると結構面白くて、そんなに時間はかからず僕の最初のホームページが公開されたのでした。

 

みーまのおうち

 

早速のネーミングのなさに自分でも鳥肌が立ちそうですが、そのころの僕はそれで良しとしたようです。
その頃のインターネットでは「ハンドルネーム」というネット上でのニックネームみたいなものを名乗るのがデフォルトで、僕はネット上で「mima」(みーま)と名乗っていました。ネット上で生きる仮想の猫の名前という設定で、猫アレルギーで猫に触れない僕がなぜそうしたのかは、ちょっと記憶にないですが、多分そういう気分だったのだと思います。
プロバイダーの無料ホームページスペースを利用し、当時BIGLOBEもmeshnet.ne.jpだった時代、「みーまのおうち」はオープンしました。
CGIレスキューで設置したCGIカウンターもバッチリ動いています。
内容はエヴァの2次創作のサイトです。

コンテンツは僕が書いた、エヴァの2次創作シナリオ、「EVANGELION ANOTHER STORY」。TV版放送が終了して、賛否両論が語られている中、僕なりの解釈で25話、26話のシナリオを公開していました。

 

居心地の良い自分の城

 

オープンから、順調にアクセス数を伸ばしていたサイトはどんどんカウンターの数字が伸びていました。ネット上の仲間も増えて、イラストを投稿してくれる方、2次創作の小説、オリジナルの小説などなど、コアメンバーは10名くらいで、下は中学生から、上は社会人まで幅広いメンバーに支えながらの運営は本当に楽しかったです。

僕企画のオフ会も2回ほど開催させて頂き、遠方から来てくれたり、本当に良い仲間でした。年賀状を送りあったり、サイト運営の足しにしてと寄付を頂いたり、本当にアットホームな我が城でした。

100万アクセスを超えるサイトで雑誌にも出させて頂いたり、コミケに参加したりと僕は高校生活で、ネットを使った自己表現、見知らぬ人とのコミュニケーションに魅せられていました。

 

でも、高校生活が終わりに差し掛かり、ふと気づいたのです。
このままでは、彼女が出来ないのは、、、と。
高校生は平日、制服だから私服を同級生に見せる必要もない訳ですが、
大学生は私服。その当時の僕の服装といったらリアル電車男です。
母親が買ってきた服を素直に来て、チェックシャツをケミカルウォッシュのジーンズにねじ込み、ウエストバッグは前で付けるし、リュックにポスターを斜めに刺しちゃう訳なのです。
ちょっと自分の大学生活に不安を抱き、一大決心をする訳です。

 

ハロー、ファッション

 

高校が大学の付属校であった僕はたいした勉強もしないで、付属の大学への入学が早々に決まっていました。
不安は、私服で大学に行くのでは一生彼女が出来ないのでは、、、ということです。
高校生から大学生に変わるこの時、僕は変わらなくてはならない。
今まで愛読していた、アニメ雑誌を卒業し、僕はオシャレになることを決めたのです。
メンズノンノ、ファインボーイズ、ブーン、ホットドッグなどのファッション雑誌を買い漁り、ファッションの研究が始まりました。

インポート、ドメスティック、ハイブランド、ストリート、デザイナーなど、ファッションに紐づく色々なものを調べてみました。(多分オタクだから)
そして、自分の好みは「モード系」であるように思ったのです。
まあその当時、GLAYラルクなどのビジュアル系も流行っていたし、その辺りの影響も受けつつ、モノトーンでキレイ目なものが好み。

なぜ彼女を作るためにファッションなのか、ということについては当時僕の考えで、モテる人は「カッコイイ」か「面白い」であって、「面白い」ことを目指していくには、僕の話術はあまりにもハードルが高そうであり、人間的な「カッコイイ」は難しいかも知れないけど、「オシャレ」っぽいことはオタクをカモフラージュするには最適だからと思ったからです。

多分、「オシャレ」な男を嫌いな女性は少ないはずだ。

 

ハロー、丸井

 

僕のファッション入門として活躍したのが、丸井。
きっとオタク時代には「OIOI」が「マルイ」と読むことを気にも止めないだろう。
今まで大切にしてきた、アニメ関連のCDなどのお宝グッズを後ろ髪引かれつつヤフオクで売却し、何十万円という大金を手にして資本金は万全!
エヴァのサントラ初回限定未開封セットとか、林原めぐみの初版は値が付いたなあ、、、)

 

その当時、僕は埼玉県の入間市というところに住んでいて、買い物に行くとなると近場の所沢か、池袋という埼玉県民には馴染みのあるキーワードになる。とりあえず、所沢の丸井で入門編を購入することにした。
メンズフロアで、ブラブラ物色し、
(というか、緊張していてそこまでの余裕はないが)、
自分の好みに合いそうなブランドを探してみると
コムサデモードファイブフォックス)というブランドがなんだか好みっぽい。

モノトーンが基調で、カッコ良さそな感じです!

 

超ドギマギしながら、入学式用の黒のスーツと、私服用のコーディネート2体ほどほぼマネキンそのままに購入。
なんという上顧客なのでしょう。

 

大学デビュー

 

そうです、僕は完全に大学デビュー野郎なんです。

でも良いんです。僕は生まれ変わったのです。
高校→大学で、友達関係は一新され、僕はちょっとイケてるグループ(多分)に所属していたのですから。
理系の工学部だったけど、周りはファッション好きなやつとか音楽好きでバンドやってるやつとか、高校時代では考えられない変貌ぶりです。

でも不思議なもので、内面は対して変わっていないはずなのに、ファッションというか、洋服を変えると、なんか自分も変わった気がして少し自信が出てくるというか、自分がイケてる人間なのではないかと勘違い出来るから素晴らしいものだと思います。

 

そうそう、肝心の彼女は大学入って早々にバイト先の女の子と付き合うことができました。

 

ビジネスが生まれるとき

 

そろそろ起業絡みの話になってきます。
でも僕は全然、就職活動をして、サラリーマンになってからも別にずっと起業したいと思っていたわけじゃないのです。
でもきっと、この瞬間に立ち会えていたから、今の僕があるんだと思う。
大学で仲の良い友人が(今でも大親友)、新しくウェブサイトを立ち上げたいということを言ってきた。
彼は僕が高校時代にエヴァの同人サイトを運営していたのを知っていたから
ウェブサイトの立ち上げ方が知りたいようだった。

 

話を聞いて見ると、ビジネスでインターネットを活用するという。
彼もファッションが好きで、そのビジネスというのもファッション誌に掲載されている商品を、代理で購入して発送するというもの。
名前を「Fashion Magazine On Demand」という。

 

今でこそ、「買い物代行」というサービスが定着しているが、時代はまだ1999年か2000年というところだ。
ADSL前ですよ。

 

略してFMODは、ビジネスとして上手く行っているようだった。
僕は経営として参画しているわけではなく、友人として側で見ていたり、週末買い物代行を手伝ったりするくらいだったから、どれくらい儲かっていたのか厳密に知ることはなかったけど、ビジネスが生まれる瞬間を見ることができた。
ビジネスアイデアを形にして、お客様からダイレクトにお金を頂く、それまでアルバイトという雇用形態しか経験していない僕にとってそれは衝撃的なものだった。

 

大学時代

 

僕の大学時代はとても有意義なものだった。
彼女も出来たし、現在も交流が続く友人もいた、成績はそこそこだったけど、10代最後と20代の最初を大学で過ごせたのは幸せだと思う。

 

高校1年生から続けているアルバイトも大学4年の卒業まで、1月も働かない月がないほど仕事もしていた。
その中でも約7年間お世話になったセブンイレブンの経験も忘れがたい。
最終的に店長代理までやらせてもらって、その当時のコンビニの業務は全て分かっていた(決算など以外)。
最初にインターネットに触れた時の感動を将来的な仕事にしたいと思ったからです。でも勉強を進めて行くうちに、ずっとパソコンのプログラミング言語を見続けることが苦痛になってきて、最初はエンジニア希望だったけど、ちょっと違和感も覚えていたのです。

 

就職活動

 

僕の就職活動ネタは全然参考にならない。
最初はエンジニア希望だったけど、卒業間近ではエンジニア絶対嫌だと思って望んだ就職活動です。

リクナビで一応エンジニアっぽい業種の
JR東日本システム

ITベンチャーで当時プロバイダーの事業を行っていた
グローバルメディアオンライン(現GMOインターネット
という会社にエントリーしてみた。

 

JR東日本システムの会社説明会に行って、採用試験があるということで会社説明会のみの参加で終了。
GMOは試験なしで、面接のみということが良かったのと、社長の熊谷代表があまりにもカッコ良くて、あの人と話してみたいと強烈に思いました。
全4回の面接試験を何故か突破し、念願の熊谷代表ともガッチリ握手して内定を頂き、よくもまあ何千人も応募していて10人しか採用されない会社に雇ってもらえたもんだと今でも思います。
就活で1社しか受けないってのも今思えば、もっと会社見た方が良かったかもと今では思います。

 

よく将来起業したかったからGMOに入ったんですか?
とか聞かれますが、全然違います。その当時は起業しようなんて微塵も思っていませんでした。だから、何が起こるか分からないですよね。

 

GMO時代

 

大学を卒業して、お世話になったGMOインターネットには僕の会社を作るまでのほとんどの運営ノウハウを教えて頂いたと思っています。
しかしながら、新卒の僕は今思うと全然使えないサラリーマンでした。
カスタマーサポート→マーケティング→営業と2年間の間に5回も部署異動(大半僕のわがままで)経験させてもらいました。
最後の営業職は、本当に色々な方にお会いできて本当に勉強になった。
独立してからも、その関係が続いている会社も数社あります。

 

裏原.jp誕生

 

GMOインターネットはご存知の通り、ドメインやサーバーなどのインターネットインフラに強い会社。
大学時代にエヴァの同人サイトを運営していてサイト制作の知識は元々あったので、サラリーマンで、日々スーツの生活が嫌だった僕はファッションサイトを立ち上げることにしました。

ドメインはurahara.jpで「裏原.jp」です。
大学時代後半にハマっていた裏原系のサイトです。
その当時、まだファッション系のサイトは全然存在していなくて、裏原系のブランドの名前などを検索サイトで検索しても、何も検索結果に表示されませんでした。

僕は、ファッション雑誌などに掲載されている、裏原系のブランドのお店情報(住所、電話番号、営業時間など)を掲載して裏原に買い物に行く人のタウンページ的なものが便利だと思っていました。簡単なHTMLで制作して、公開したのが2002年の12月。

 

アフィリエイト広告

 

裏原.jpは、全くの個人サイトで、そもそも収益を生ませようと考えてもいなかった。
サラリーマンで、週末の少しの時間をサイト運営に使うくらいのものでした。
アクセス数だけは、ぐんぐん伸びていて僕の更新の励みになっていました。
その当時、始まったばかりのアフィリエイト広告という広告モデルがあって丁度その当時、営業で色々な広告なども販売をしていたのでその勉強も兼ねて自分のサイトに導入してみようと思いました。

それが大正解。

広告料は、当初数万円程度から始まって、それでもサラリーマンをやりながら片手間でやっているサイトにしては上出来。でもアクセス数の増加と、広告掲載位置の最適化、そしてその後に始まったGoogleの広告サービスアドセンスなども導入して広告収入も伸び続けていました。
(その当時AdSenseはドル建ての小切手支払でした。)

2004年に入って、広告収入が会社からの給与を超えてくるまでに成長したのを受けて、GMOを辞めることにしました。

 

ニューオーダー

 

2004年3月20日、会社を無事に辞めて、翌21日、東京都北区で個人事業主「ニューオーダー」を設立しました。
設立といっても、個人事業主なので区に簡単な書類を提出するのみ。
僕はその当時、JR山手線の「駒込」駅の近くのワンルームマンションに住んでいて、そのまま自宅兼のスモールスタートです。
そんなこんなで、高校時代にアニオタだった僕は、起業して
「ファッション×インターネット」をテーマに事業を展開していくことになる。

 

有限会社ニューエイジ設立

 

2004年12月24日に個人事業主から有限会社ニューエイジを設立しました。
個人事業主の時点でとりあえず300万円を貯めて会社化することと、
会社事務所を「渋谷区神宮前」にすると決めていました。

会社を辞めて約9ヶ月後会社を作ることが出来ました。
個人事業主のときは自分で手続きをしましたが有限会社のときは
渋谷の司法書士の先生にお願いしました。

また合わせて会社の事務所を渋谷区神宮前2丁目のマンションに移転し
(まだ自宅兼用)
念願の神宮前住所になりました。

 

ニューエイジ、株式会社化

有限会社化した翌年の9月に有限会社から資本金1,000万円の株式会社に変更。
事務所も神宮前6丁目のオフィスに移し、自宅は世田谷区と分けました。
役員、アルバイトなども増え、株式会社と同時に外部からの出資も
若干ですが受けました。

こういうふうに書くとすごく順調そうに見えますが
10年会社やるのは大変です。
丁度会社設立から丸10年経ったので、そのあたりの苦労話などはまた別の機会に
書きたいと思っています。

 

この記事は2013年12月、STORYS.JPに連載したものに加筆修正した10 years afterバージョンです。

 

2014年12月3日
株式会社ニューエイジ 代表取締役 金子洋平

 

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